技術変遷の過程では、相補的対立的な概念や技術が生まれる。例えば、
- Circuit vs Packet
- Intelligent vs Stupid
- 集中 vs 分散
- Control vs Open
- Top down vs Bottom up
- ATM vs Ethernet
- Connection oriented vs Connection-less
- IP vs other Networking Protocol (SNA, Appletalk, IPX, etc.)
- ...
それらは、時代の流れにより、どちらかが凌駕したり(*1)、共存しながら勢力変化を繰り返したり(*2)、融合したり(*3)して、技術は次のステージへと変遷する。
(*1) L2としては、Ethernetがクライアントとしてもインフラとしても使われるようになり、ATMは縮退した。L3はIPに収斂し、他のプロトコル(SNA, Appletalk, IPX, etc...)は使われなくなった。
(*2) 集中と分散というアーキテクチャ概念は、形を変えながら、出現する。たとえば通信分野では、管理システムによるパス制御(集中)→自律的ルーティング(分散)→Openflowのような、Controllerによるパス制御(集中)...。コンピューティング分野でも、ホスト・端末/TSS(集中)→クライアントサーヴァー(分散)→クラウド(分散された集中)...。
(*3) MPLSは、Connection-Oriented概念とConnection-less概念を包含、融合した。
そしてここ数年では、CircuitとPacketの融合が起こっている。Ethernet over SONET/SDH、Circuit over MPLS、PacketとOptical(OTN)の統合、などなど。そして最近各所で最も話題になっているのが、MPLS-TP(MPLS Transport Profile)である。
MPLS-TPは、もともとITU-Tが、MPLSのConnection Oriented的な要素を利用して、伝送的特徴を持つパケットトランスポート技術を開発しようとしたことに端を発する。そこに、MPLSを開発したIETFが"待った"をかけた。「MPLSはひとつの統一的技術であるべき。他の標準化団体が独自に拡張することは好ましくない。」そして、ITU-TとIETFでの共同作業が開始され、MPLS-TPとして標準化されることになった。
私はこれまでこの技術にあまり関わっていないが、最近になって顧客からの要請も多く、我々のルータでも一部実装が行われつつある。今回チュートリアルの依頼を受けたことをきっかけに、ここ数日で集中的にキャッチアップし、勉強した。そして....、愕然とした。
相補対立的なものが融合するためには、お互いの技術の良さが共存でき、よい協調、よい使い分けができなくてなはならない。
しかしMPLS-TPの場合は、それどころか、それぞれの技術のよさを打ち消しあう。IPの弾力性(resiliency)、自律性(autonomy)を失うのみならず、回線交換の、決定論的な予測可能性(遅延・ゆらぎ・紛失が起こりえない)という特徴も失う。(MPLS-TPは統計多重である。)
MPLS-TPの主要な要件は、「IPへの非依存性」と、「伝送技術的なOAM」である。パスの疎通確認(Continuity Check)、トレース、ループバックに代表されるOAM制御は、伝送では、Framing Overheadに組み込まれている。IP/MPLSはそうではないので、別の方法で実装した。しかし機能面から見れば、既にある機能を、別の方法で実装することに他ならない。何か有益な機能が新たに追加される訳ではない。
そのため、同じ機能要件に対して複数の実装を許容すべきか、という議論が白熱している訳であるが、それよりも大きな問題は、「IPへの非依存性」という要求は、ルータ、というか、コンピューティングプラットフォームにとって非常に困難、という点である。これら装置は、プロセス間通信を行うためにも、普通にTCP(UDP)/IPを使う。IPに依存しない、となると、複雑かつ余計なステップが必要となり、非常にトリッキーな実装になってしまう。(Pseudo WireのOAMもIP非依存が求められるが、Pseudo Wireは、LSP上のアプリケーションだからよい。LSP自体のIP非依存というのが厄介なのだ。)
技術自体の良し悪しを論じるつもりはない。市場が決めることだ。そして、現在のMPLS-TPへの要求の高まりは、伝送技術に長けた勢力が統計多重を取り入れようとしている、ということだと理解できる。しかし、IPを技術の機軸に据えるIETFが手を出すべきではなかったのではないだろうか。それぞれの技術の良さを共存させ、よい使い分けを実現できるとは思えない。お互いの良さを打ち消しあい、疲弊するだけだ。混ぜるな危険。少なくとも、我々は手を出すべきではないと思った。
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