今年のネットワーク領域に起こったことを総括すると、やはりSDNというものに翻弄された年、と言えるだろう。
翻弄された、というのは受け身的で情けない感じもするが、実感をありのままに書くとそうなる。SDNはこれまでのネットワークの担い手とは別のコミュニティから発せられた様々な問いから端を発しているからだ。「コマンド設定?何それ?」「ネットワーク開通?何それ?何でそんなに時間がかかるの?」「何でプログラムから呼べないの?」「機器ヴェンダへの依存度がこんなに高くていいの?」「コンピュータプログラムは抽象化により進化してきたのに、ネットワークって全然抽象化が進んでいないのでは?」…
これらの問いにはナイーヴなものもあるし、若干誤解もあるが、そのように捉えられる様態になっていたのは事実である。そして、この問いを受けて立つネットワーク業界や個々の関係者の反応も様々である。この反応の違いや時間的推移も興味深いが、概ね、この問いを歓迎し、これまでのネットワーク設計・運用のよい面、悪い面、そしてこれからのネットワークのあり方を再考する好機と捉えていると思う。私もその一人であり、アーキテクチャ的転回の機会を得た巡り合わせに感謝し、よいケーススタディを実践したいと考えている。
このようなアーキテクチャ的転回は、過去にも大小合わせて何回か起こっている。Mainframe Computing -> Client/Server -> Web2.0, p2p, Grid -> Cloud Computing..。インフラに絞ってみても、電話主体のアクセス網-> IP NGNという転回があった。前者の転回は、ほぼ、直前のアーキテクチャに対する対立・アンチテーゼという形を取るが、後者の、電話からNGNへという転回は、よく「いいとこ取り」という言い方をされた。iP NGNは、信頼性、計画性などといった電話網のよいところと、柔軟性、オープン性などのIPのよいところの、両者を併せ持つネットワークを目指した、と言う。
これまでのアーキテクチャ的転回と同様、SDNも、アーキテクチャ設計に関して、いくつかの対立軸で捉えることができる。
A) 自律分散制御 ー B) 集中制御
A) ハードウェア ー B) ソフトウェア
A) 物理 ー B) 仮想
…
SDNは、これらA)-B)の対立軸で考えた場合、比較的、B)寄りの考え方がメインになる。しかし、現実のアーキテクチャ実践としては、A)を対立させ、排除する、というよりは、最善の共存方法を探る、ということになるだろう。スケール・堅牢性、適応性という点においては、自律分散がどうしても優れている。また、ハードウェアとソフトウェアは時と状況に応じた補完関係にあるに過ぎず、仮想といっても物理リソースあってのものだ、ということもわかっている。
では、どのようにしたら、最善の共存ができるだろうか。
SDNは、これらA)-B)の対立軸で考えた場合、比較的、B)寄りの考え方がメインになる。しかし、現実のアーキテクチャ実践としては、A)を対立させ、排除する、というよりは、最善の共存方法を探る、ということになるだろう。スケール・堅牢性、適応性という点においては、自律分散がどうしても優れている。また、ハードウェアとソフトウェアは時と状況に応じた補完関係にあるに過ぎず、仮想といっても物理リソースあってのものだ、ということもわかっている。
では、どのようにしたら、最善の共存ができるだろうか。
私はここで、「いいとこ取り」というものに異を唱えたい。「いいとこ取り」って、確かに、目標やスローガンとしてはよいのかもしれないが、現実に実装可能どうかは相当疑わしい。ある方式を選択する、ということは、基本的にその方式の良い面も悪い面も採択することである。その上で、何らかの別の手段により、悪い面を緩和するしかない。対立する方法論のそれぞれ良いところだけ取るというのは、原理的に不可能に近く、ややもすれば、両者の良い点を打ち消し合うだけという、中途半端なものになってしまう可能性が高い。
対立でもなく、「いいとこ取り」でもない、第三の調停手法が、これからのアーキテクティング手法の一つの重要な要素になると思う。それは何か。ちょっと長くなりそうなので、次回に書く。
最後になりましたが、皆様、良いお年を!!
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