公式ブログには、やっぱりあまり好き勝手なことは書けない。非公式とはいえ、できる限りの客観性を持たせたいと思う。
しかしこちらには好きなことを書いてしまおう。「自律分散が好きだ!」
最近のネットワーク設計の現場では、SDN潮流の一環として、集中制御への見直しが起こっている。確かに、これまでは分散制御が少し行き過ぎて、そのためのControl Planeが複雑化しつつあった、ということは事実だ。また、可視化や自動化のためには、集中的な観測や制御が必要である。私自身が設計する場合も、必要なところ、可能なところには、集中制御的な要素を取り入れる場合が多くなるだろう。
でも基本的には自律分散が好きだ。なぜなら、それは生命のモデルだから。成長、進化、堅牢、存続の基礎になるモデルだから。
我々が熱いものに触ったとき、脳が熱いと判断して、手を引っ込めるのではない。手を引っ込めるのが先であり、脳はそれを後追いで認知しているだけである。生物においては、そうやって、それぞれの部分がかなり自律的に動作している。脳が後追いなのは、このような単純な反応だけではない。高度な脳機能と考えられる「意識」でさえも、脳が能動的につくりだしているものではないという説がある。脳は、各所での自律判断を総合して、整合性を取るために、あたかも自ら意識しているように認識しているに過ぎない。(この辺は、ベンジャミン・リベット「マインド・タイム」[1] 、ダニエル・デネットの「解明される意識」[2]、そして我らが前野隆司先生の「受動意識仮説」[3]に詳しい。
このモデルは、社会や組織のあり方にも通じる。
少し前だが、TVで、宅配ピザのフランチャイズ店がどのように品質を確保するかを取り上げていた。急速に成長するフランチャイズ。人材確保もバイトなどに頼らざるを得ない。そのような中、ピザという商品をすばやくおいしく提供できなければ、お客は離れてしまう。
A社の戦略はこうだ。情報技術を駆使し、全店舗に遠隔カメラと通信手段を設置する。そして調理開始から提供までを、センターから細かく監視し、必要に応じてリアルタイムで指示をする。
それに対し、B社は、バイトも含む社員に、徹底的に教育を施すという。具体的なピザのつくり方は勿論、おいしいピザとは何か、お客様を満足させるとはどういうことか、について。
まだどちらのピザも食べたことが無いのだけれど、B社のやりかたの方が圧倒的に好きだ。必要な教育、方向付けを行った上で、その時々の判断は、各人に任せる。
先日の「DJポリス」の話もそうだ。普通だったら「立ち止まらないで下さい」、「押し合わないで下さい」とか言うところであろう。それを、「みなさんは12人目の選手です。チームワークをお願いします」と呼びかけたのだから、揮っている。一方的に命令するのでなく、各人の自律性と良識を呼び覚ます。
オーケストラの指揮も然りである。良い指揮者は、「ここは(音量を)小さく」とか「大きく」とかはあまり言わない。どこを目指すのか、どこを音楽的高揚の頂点とし、どのようにそこに到達するか、といったポイントを、演奏者と共有する。具体的な奏法は各演奏者の感性に託されることにより、演奏者は生き生きと演奏できる。
「生命や組織のモデルは技術システムのモデルとは異なる」、という指摘もあるだろう。尤もな指摘であり、私も、この点に関して十分な説明ができていない。しかし、ネットワークシステムに関して言うと、システム間の接続、システム外部との接続が必要であり、そのため不確定性が高い、ということは言える。そして、不確定性が高いシステムには、多様性や自己組織化といった生命モデルがよく適応できる。
ところで、最近SDNの文脈で、「コントローラ」とか「オーケストレーション」という言葉がよく使われる。使い分けている場合もあれば、混然と同義のように使われる場合もある。私としては、本来の意味合いを踏襲し、「オーケストレーション」は構成要素の自律性を尊重した方法、「コントロール」は構成要素を統制する方法、と使い分けるべきではないかと思っている。
[1] 「解明される意識」、ダニエル・C・デネット、青土社 (1997)
[2] 「マインドタイム 脳と意識の時間」、ベンジャミン・リベット、岩波書店(2005)
[3] 「脳はなぜ「心」を作ったのかー「私」の謎を解く受動意識仮説」、前野隆司、筑摩書房(2004)
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