チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲(Op.33)」を弾く(かもしれない)ことになったが、悩ましい問題が一つある。版の問題だ。
どんな曲を弾く場合も、アーキテキュレーションの考え方一つとっても大分曲想が変わるため、版の選択は問題になる。でもこの曲の場合はアーティキュレーション云々の問題をはるかに越えている。チャイコフスキーがこの曲を捧げた親友でありチェリストであるフィッツェンハーゲンが、変奏の曲順を大幅に変更し、かつ終曲をカットし、コーダを書き替える、という大改造を行ったというのだ。(この辺は、Wikipediaに詳しく書かれている。)
当時出版社がその編曲版を出版したために、長らくこちらの版が標準版になっていた。ロストロポービッチ、ヨーヨーマなどの名演奏もこの版によるものである。これはこれで素晴らしい。物寂しげでどこか懐かしいmoll(短調)のヴァリエーションを後半に持って来て、その後一気に盛り上がってコーダを迎える。チェロを輝かしく聴かせるという演奏効果を考えても、若干冗長な感じをスリムにしているところも、編曲版はよくできているように感じる。いや、こちらの方が聴き覚えがあるため、親しみがあるだけなのかもしれない。
この曲を課題曲としているチャイコフスキーコンクールでは、第12回(2002年)から原典版を指定しているそうだから、これから勉強する若いチェリストは、原典版をさらうのだろう。やはり、作曲者の意図を忠実に再現するためには、原典版を選ぶべきだろうか。スティーヴン・イッサーリスは、結構強く、「編曲版はナンセンスでり、冒涜(sacrilege)」とまで言っている。
一方、実際の演奏会では、最近でもフィッツェンハーゲン版が演奏される機会もまだ多いようだ。昨年来日もしたタチアナ・ヴァリシエヴァの演奏もフィッツェンハーゲン版だ。その他もいろいろ検索したが、編曲版での演奏の方が多い様子である。確かに、作曲家の意図が一番であるが、演奏者にとっては演奏効果も重要な問題である。例えば、ショパンの「序奏と華麗なるポロネーズ(Op.3)」をオリジナル版で弾く人はあまりいない。オリジナル版ではピアノの輝かしさに対してチェロはオブリガード的であり、腕に覚えのあるチェリストにはそれでは物足りないため、演奏会では、フォイアマン版、ジャンドロン版などが取り上げられる。(私はこれらは弾けませんけれども。)
さて、原曲版か、編曲版か。私の廻りには結構原典主義の人も多いのだが、極端な原典主義はどうしても疑問に感じてしまう。原典版にだってどのみち記譜ミス、写譜ミスはあり得る。作曲者の意図が完全に譜面に表れているか、と言えば、そうではないこともある。また、優れた演奏家が曲を深く研究して校訂したことを、そんなに無碍に否定する必要も無いだろう、という気もする。勿論、校訂はあくまでも、ある第三者によるある前提に基づいた解釈に過ぎないので、それを過信するのは、当然よいことではない。要するに、絶対に正しいというものは無い。その場その場で判断するしかない。
うーん、迷う。両方弾けるようにすればよいのだろうが、ソロ曲なので暗譜しなくてはならない。複数の版が頭にあったら絶対混乱するから、やはり早いうちの選択が必要である。
まぁでも一番の問題は、この難曲を手の内に入れられるか、ということなので、まずは基礎をきちんとさらうことに専念しよう。。。
コメント