長年技術者をしていると,「えー,そんなアホな」という場面に遭遇することがある.そのような場合,「アホですか」とは言わずに,なんでそのような事態に立ち至ったかをまずは理解するようにしなくてはならない.自分の感覚からすればどんなにばかげているように見えても,それは単に見方・捉え方の違いに過ぎない,ということがよくあるからだ.
私も,「アホですか」と言われた(いや,実際にそう言われた訳ではなくても,あからさまにそういう雰囲気になった)ことは何度もある.
大分昔,KAME(BSD系IPv6 protocol stack)の開発者の一人に「何故IPv6に下位互換性を持たせなかったんですか?」と訊いたら,「へ?(アホですか)」,と呆れられ絶句された.「だってヘッダのアドレススペースが足りないんだよ?!いくつか互換性を提供するための技術はあるが(IPv4 mapped addressとかNAT-PTとか(当時))根本解決にはならない.そもそもNATが蔓延しend-to-end原理が崩壊したIPv4なんかさっさとやめて,ネットワークを再構築した方がよい.」当時はこういう論調だった.
一方, これは2年前,Systems Engineeringの大家で,現在はNUS(シンガポール国立大学)でSystem Thinking, Critical Thinkingを教えられているJoseph Kasser教授に,インターネットにおいてIPv6がなかなか普及しない話をしたとき,「全く新たな価値をもたらすものでない限り,下位互換性を持たせなければ普及しないのは当然.(アホですか)」と言われ,ここでもそうですよねと引き下がらざるを得なかった.
立場,見方,捉え方,パースペクティヴの違いにより,そしてその時の状況により,現象の捉え方がこんなにも異なるのだ.
人間は,成長するに従い,ある見方・捉え方を身につけて行く.しかしそれは,同じコミュニティに属するごく親しい間柄でも,人によって異なることが多いし,ましてや広く普遍的なパースペクティヴというものは存在し難い.だから,何かを他者と一緒に成し遂げようとする場合は,できるだけ理にかなった仮説を提示し,それについて,言葉をつくし,場を共有して,相互理解を醸成する必要がある.これは,相手が一人ないし少数であれば対話であり,多数の場合は,このことこそが「リーダーシップ」というものなのだろう.
(おまけ)
私は職業柄0から数え始める習性がついてしまっているが,一般常識的には1から数えるのが普通だろう.そのため音楽の合奏練習で困ることがある.小節番号や練習番号がついている場合は問題ないのだが,「2番かっこの小節から2小節目」とか言われるとだめだ.脳が勝手に「2番かっこの小節」を0として,そこから1,2と数え,都合3小節目から弾き始めてしまう.先日も,うまくいかず雰囲気がぴりぴりしているときにやってしまって,「アホですか」状態になった.これも捉え方の違いではないかと思うが,勿論言い訳はできない.
一方,音程の表し方(ドとレは2度,ドとミは3度とかいうやつ)で,「同音なのに1度というのはおかしいのではないか.ドとドだったら0度,ドとレで1度なのでは」,という人がいるが,音程は,「数」ではなくて「比」なので,同音は1度でよいのです.
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