最近、所属する組織が「公式ブログ」なるものを始めて、書いてみないかと言われた。「公式ブログ」とはいえ、書く内容はあくまでも「非公式」な個人見解であり、所属組織の見解とは一切関係ない、という注意書き付きである。(一体どこが公式?!)しかしこのパラドキシカルな感じが気に入ったので、引き受けてみることにした。
しかし、そうすると2つの問題が発生する。まず「何を書くか」。次に「このBlogをどうするか」。
「何を書くか」についてはしばらく悩んだ。悩んだ末に、私の興味は一貫として「アーキテクティング」にある、ということに気づかされた。
これまであまり意識してこなかったが、振り返ってみれば「アーキテクチャ的に考えること」が、私の成長の源泉になっていたと思う。学業でも、音楽の修行でも、仕事(プログラマ→SE→スーパーエンジニア(?!)を目指し中)の場でも、人間としても。母校の大学院(Keio - Systems Design Management研究科)の門を叩いたのも、この興味による。
「アーキテクチャ的に考える」とは、簡単に言ってしまうと、その対象を構成している要素だけでなく、要素同士および要素と環境との相互作用・ダイナミクス、つながり方も併せて捉えることである。「メタ思考」とか「システム思考」とか言う言葉にも近いかもしれないけれど、より具体的な構造設計にも応用できる点が異なる。
「アーキテクチャ的に考える」ことは、しかしながら、良いことばかりではない。一つのことを徹底的に掘り下げたり、追究することには向いていない。だからアカデミックな研究には向いていないと思う。あくまでも深く追究しないといけないときに、ついつい相補概念や相反概念を持ち出して、掘り下げる勢いを打ち消してしまったり、「そもそも」今やっていることがどんな意味を持つか、ということに思いを馳せて、所詮一時凌ぎに過ぎない、とやる気をそいでしまったり。(ここには心底気をつけないといけない。人間の一生なんて束の間だし、現世のすべてのことは、言ってしまえば「一時凌ぎに過ぎない」。それでも、何かをすることに意味はある。)
そのため、過度な相対化や行き過ぎたメタ化には常に注意しなければならないが、そこにさえ気をつけておけば、これは強力な思考のフレームワークである。仕事は勿論、子育て、人間関係、組織や音楽といった、あらゆる対象に応用可能で、さまざまな局面を統合する方法にもなりうる。このBlogも、仕事・家庭・音楽のことを分けずに書いて来たが、「アーキテクティング」という観点により統合可能だったのだ、と改めて思う。
という訳で、「公式ブログ」の方には、「アーキテクティング」話題の中でも仕事に直結する「ネットワークアーキテクチャ」について書いて行こうと思っている。
こちらのBlogは、もともと更新頻度も少ないのですが、その他の、音楽や社会や生活に関わるアーキテクティング話題や、「公式ブログ」には書ききれなかった技術ネタを書くつもりです。今後ともどうぞよろしくお願いします。
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