神々しい、宇宙的、とでも形容するしか無いような音楽がある。
例えば、バッハのシャコンヌ、特にあの、突如D-durになった後の分散和音。モーツァルトのジュピター、シューベルトのピアノソナタ21番、ベートーヴェンのワルトシュタイン...。
そこには、人知を越え、さらには普遍性とかいうことさえも越えてしまうような何かがある。
人間ってすごい。世界は美しい。どんなにつらいことがあっても、これらの音楽があるだけで、この世に生を受けたことに感謝する気持ちになる。
地動説、万有引力、相対性理論など、いかなるすばらしい科学史上の功績も、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインがこの世に生まれなかったとしても、きっと誰かが発見していただろう。しかし、シューベルトの音楽はシューベルトがいなかったら、存在しなかった。
だから、一人の人間が一生のうちになし得ること、という尺度で考えたら、芸術家が一番すごいのではないか。
で、何が言いたいか、というと、何でも市場原理に絡めとって芸術を消費の対象にする風潮はけしからん、ということでもなく(多少はあるかもしれないが)、保護してほしいということでもなく、どうせ生きるのならアーティスティックに生きよう、ということなんです。
アーティスティックに生きよう。
その論理は科学者がちょっとかわいそうな気がする。定義として、サイエンスは再現性を求め、アートは求めないのであって、そこから演繹すると上記の結論が導かれるから。
投稿情報: まえの | 2012.10.18 01:11
これは、私の前提として、「科学者が一番すごい」というものがあり、それに対する逆説であります。
サイエンスには新規性と再現性の双方が求められます。これは、人間業とは思えないほどすごいことです。
アートは新規性のみが求められます。(新規性さえ必要ない場合もある。)証明する必要は無いし、そもそも証明できない。それでも、魂を揺さぶるような感動を与えることがある。そしてこれはまさに人間業です。
投稿情報: Miya | 2012.10.18 23:09