2011年3月11日から3ヶ月が経った。被災した方やその関係の方に謹んでお見舞いの気持ちを捧げる。
私自身は大した被害を受けた訳ではなく、もっと辛い思いをした人がたくさんおられ、そしてそれが現在も続いていることを考えると、誰かを励ますこともできず、何の役にも立たないような文章などを書くことに意味は無い。しかし、震災、特に原発事故に対する自分自身の無力感に正面から向き合うために、この3ヶ月ずっと考えていたことを記録しておきたい。
事故の直後は、パニックを抑制するためか、科学的立場からの被曝に関する言質が多くなされた。しかしその後、事態収束に向けての最低限の制御さえ思うようにできないことがわかるにつれ、反原発機運が高まった。
科学的アプローチは「ある前提の上に」のみ成り立つものなので、その前提自体がよくわからない場合は無力である。しかし、では人文的アプローチがよいか、というと、それだけではだめだ。サンデル先生の特別授業(そこでのジャパネット高田社長の真剣な面持ちがかっこよかった)は素晴らしいものだったし、最近の村上春樹のスピーチにも心を動かされる。このような、人間が生きる、ということに対する根源的な視点は、現在一番求められることであることは確かだ。しかし、やはり科学的アプローチがないと、その次の具体的な実装については踏み込めない。村上春樹は、今回の原発事故を、日本における二番目の核被害と言った。しかし、太平洋戦争は間違いだったとはっきり言えるのに対し、原発は間違いだったのか、ということに対して、まだ答えはない。(戦争も、その時代に生きていたら、間違いとは言えなかったかもしれない。)感情的・感覚的なものだけで判断するのは危険だ。
太陽光や風力、バイオマスなどの自然エネルギー、再生可能エネルギーはすばらしいものに思えるが、一方そんなにすばらしいものであれば、なぜもっと推進されてこなかったのだろう。これまでは何らかの要因で、十分に社会資本や叡智を集中してこなかった、ということか。ソフトバンクの孫社長が、「ADSLはISDNと干渉するので日本では普及できない」というそれまでの常識を覆し、日本のブロードバンドの低廉化と普及をもたらしたことは確かだ。今回も、孫さんの行動が自然エネルギー分野に大転換を起こせるかもしれない、という一縷の希望を抱かないわけではない。しかし、NTTやKDDIは当時、ISDNの次は光ファイバにするという道筋を描いていた。そして現在、実際そのとおりになった。だから、ADSLは、日本のアクセス通信史上の「一時的な寄り道」という見方もできる。孫さんのやったことは「ブロードバンド革命」と言われるが、見方を変えれば、二重投資の原因をつくった、ということもできる。今回の問題にしても、エネルギー密度と安全性は、かなりの部分トレードオフの関係にある。当面のエネルギー不足は避けられないので、様々な側面からの見直しが必須である。自然エネルギーへと舵を切れば万全ということにはならない。
夫の実家と親戚が南相馬市在住である。不便な生活を強いられ、また被曝への不安もかかえているにもかかわらず、気丈で、逆にこちらを心配してくれるような、思い遣り深い人たちだ。彼らのことを思うと、ただただ切ない。避難して欲しいと思うが、地元に仕事がある。何ができるだろうと考え続けても、なかなか答えは見つからない。一つ言えるのは、単に反原発に廻ればよいということではない、ということ。原子力はこんなにも制御不可能な技術だった。そういう技術に頼っていたこと、そして頼らせていた構造自体を、深く反省するところから始めなくてはならない。
今求められているのは、生きること自体や価値観の見直し、そして、科学的アプローチと人文的アプローチのsynthesis、原発を推進する立場とそうでない立場のsynthesisだと思う(synthesis:=統合・総合)。対立は重要だが、対立しているだけでは泥仕合になるだけだ。相補・対立する概念をsynthesizeして、初めて次の地平が見えてくるのではないか。
現代は「正答のない時代」である。「正答」はないので求めることはできない。現在起きていることとそうなった構造を見極め、それを乗り越えることにより、人間や組織・社会が成長するのだと思う。
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