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2006.12.08

コメント

wataru@example.co.jp

IPが人口に膾炙した結果、でしょうか。

過去、UNIXが人口に膾炙した結果、ミッションクリティカルなものがUNIXに載ってきて、ダウンサイジング(死語?)ということがあったかと思います。

同様に、ミッションクリティカルなものがIPに載ってきて、結果、今までのIPとは違う要求条件・使い方が出てきて、これもダウンサイジングを志向している、ということかと思います。

IPになったからといって、思想までIP化するわけではない、ということなのだと思います。

インターネットも同様で、人口に膾炙した結果、リアルワールドから見たときは、一通信・情報拡散手段となり、ソーシャルプロセスという観点では、リアルワールドとのすり合わせが必要となってきている、ということかと思います。(プロテスタントvsカソリック?)

電話アーキテクチャ(パス、積み上げ、ホワイトボックス化、国を意識)vsインターネットアーキテクチャ(到達性、ワーキングコード、ブラックボックス化、世界は一つ)も、宗教観の差に過ぎない、と思われ、です。

ただ、人口に膾炙した結果、インターネットにおいても、宗教観・考え方の点で相容れない人たちがそこそこうまく生きてゆくための「ボーダー」が結果、ネット世界でも復活し、リアルワールドに影響するところまでくると、結果、リアルワールドの制約を受ける、ということになってきているように思います。

Miya

wataruさま、

しかし、必要集積度は上がるばかりで、ダウンサイジングとはちょっと違うのかなー、とも思います。

> IPになったからといって、思想までIP化するわけではない、ということなのだと思います。

ここなのですが、そう簡単に割り切れない気がしてなりません。技術可能性なんてそれこそ星の数ほどある中で、ある実装を選択させているのは、その時の社会構造であったり、イデオロギーだったり、それが反映した市場動向だったりする訳です。

くしくも、冒頭に引用したシューマッハは、イランの首相が、「われわれは欧米の技術だけを求めているのであって、そのイデオロギーを求めているのではない。避けたいのはイデオロギーの流入である。」と発言したのに対し、「技術はイデオロギーから中立だと思っているのだろうか?ハードウェアを、その背後でそれを可能にし、動かし続けているソフトウェア抜きに手に入れられるとでも思っているのか?」とも書いていました。

ただ、まだよくわからないのが、「NGN」と「インターネット」、パラダイムが異なるものと見た方がよいのか、それとも、あくまでも同じ地平で多少の違いがあるだけと見た方が良いのか。

wataru@example.co.jp

> しかし、必要集積度は上がるばかりで、ダウンサイジングとはちょっと違うのかなー

大型機→ワークステーションと移ってきたときも、集積度はあがったような、です。

MIPS値でみても、今のワークステーションは当時の大型機よりあがっているような、です。

中型機のCOBOLでやっていた給与計算がエクセルとかのPCでやれるようになったときも同様ではないでしょうか。

ダウンサイジング(死語)には、常に集積度向上などによる性能向上があってこそ達成される、だと思います。

> パラダイムが異なるものと見た方がよいのか、それとも、あくまでも同じ地平で多少の違いがあるだけ

「パラダイム」、「地平」という次元を超越して、「宗派」の違いと見たほうが。。。

「宗派」の違うところで、善悪を論じても、エンドレスな「宗教戦争」が待っているだけでは、と。

それがわかっていて、宗教戦争を引き起こそうとしている人もいるような、です。

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登録年月 06/2006

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