確かシューマッハ(Ernst Friedrich Schumacher)の著作に、「物事を複雑にするのは誰でもできるが、シンプルにするには天才が要る。」というようなことが書かれていた。本当にそう思う。そしてもう一つ。「道を踏み誤ったと悟るためには、極限まで歩かなければならない。」
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IP(Internet Protocol)は、20年以上の歴史を経て、今やとてつもないことになっている。NGNとこれからのインターネットという2つの側面から見てみる。
1) NGN
電話会社による、電話を含む「通信サーヴィス」をIPで行う、という取り組み。「インターネット」というのは"Best Effort/No Guarantee"の「コンピュータ向けネットワーク」であり、電話会社が定義するところの「通信サーヴィス」ではなかった。では通信サーヴィスとは何か。"No Gurantee"ではなく、通信の品質を保証するサーヴィスである。そのため、インターネットで重要だったのは専ら「到達性(Reachability)」であったが、NGNでは"Path"が重要になる。
以前、何故こんなにも"Path"を欲しがるのか、と不思議に思っていたことがあったが(思わず「レモン哀歌」の出だしを口ずさむ)、どこをどう通っているかがわからなければ、トラヒック理論(*) など殆ど意味を成さないし、品質予測、ましてや保証のしようがない。だから、Pathが必要になるのは、むべなるかな、なのだ。
(*) 「トラ"フィ"ック」と書いてはいけない。昔そう書いて修正された。ポアソン、マルコフ等による生起予測と待ち行列理論による、性能対資源の確率計算を中心とする。
Pathが欲しいので、Pseudo Wireをはる。いや、それだけではだめだ。通過ノードも指定されなくてはならないので、MPLS TEが必要だ。おー、MPLS TEのシグナリングを使って光伝送装置も制御できるな(GMPLS)。でも、待てよ、いくら光伝送装置を制御できたとしても、トポロジーや管理は分離しなくては(border model, etc.)。。しかしやっぱり、分離してもシグナリングは一気通貫、とは言わないまでも、連携させたい(PCE)。。。
...と、かくして、要求は無限に膨れ上がる。実際、IETFの、それもRouting Areaでさえ、その議論の大半は、Pathをどうするかに費やされている。(MPLS TE, CCAMP, L1VPN, PCE...)。一方、この分野についてIETF以外が黙っている筈も無く、T-MPLSだ、PBTだ、と喧騒状態だ。はぁぁ。
Pathの概念は確かに重要だ。適材適所で使うのは良いと思う。しかし、Rechabilityを基調とするアーキテクチャに比べて、格段にScale阻害要因が大きいし、運用管理面も煩雑になる。また、Pathを明示的に指定しようとするということは(このpredictabilityがpath指向の動機の一つでもある訳だが)、それは即ちResiliencyを失うことにも注意しなければならない。(どこをどう通ろうととりあえず到達する → ある経由パスが障害になるとつながらない。)
なお、Path云々は、NGN要求仕様のほんの一部(Transport Stratum)であることを付け加えておかなければならない。
2) これからのインターネット
インターネットといっても範囲は広いが、ここではひとまずバックボーン側(ISP、IX、DC)にフォーカスしてみる。こちらの方は要求は至ってシンプル。とにかく安く、速く、高密度に、だ。大体、日々のブロードバンドユーザトラフィックが、昨年(2005年)のOCN吉田さんのInternet Week資料によると(今年は出張が重なって行けなかったよー)1Tbpsを超えようとしており、一方、全く儲かるしくみになっていない。もう、安く、速く、高密度にというしかないではないか。「100GE?今すぐ持ってきて」、という世界である。(標準化追いついてない)。あー、もう一つ重要な要素があった。電力問題だ。これこそ「人知を超える問題」に近い領域で、泣きが入る。もう泣くしかない。お客様も泣く。ヴェンダも泣く。いずれにせよ、安く、速く、高密度に、省電力で。これで決まり。
しかし、本当に要求が至ってシンプルか、というと、実際問題は全然そうではない。
まずセキュリティ問題。DoS attackを受けた場合、検知して遮断することになるが、この検知と遮断の単位(granularity)が問題だ。これが粗いと、関係の無い人のTrafficまで遮断してしまうことになり、サーヴィス品質は低下する。というか、DoS成功である。なるべく対処の対象を限定しなければならない....。
また、増大するトラフィックの半分以上はp2p trafficが占めていると言われている。何らかの対策を施したいとすると、これはポート番号では識別できないので、フロー自体の挙動や、パケットの中身を深く見なければならない。この要望は今後もっと強まるだろう。なぜなら、一口にp2pと言ったっていろいろであり、技術の芽を摘むのではなく健全に発展させるためには、プロヴァイダが推奨するp2p、制御対象としたいp2p等、識別をする必要が出てくると思われるからである。
こうなると、NGNが、"path"だとか"セッション"だ(これはService Stratumなので、ここでは触れなかったが)とか言っているのを、過激な要求だ、などとは言えなくなるかも。なんたってそれよりも細かいレヴェルで識別・制御必要、と言っているのだから。
さらに、電力問題や集積度問題でどうにもならなくなってきたものを、実際ブレークスルーするためにはどうしたらよいか。やはり分散化、Virtualization、といったことが必要になってくる。そしてそれに付随してくるのが、Load Balancing、地理的トポロジーの隠蔽、latency制御、Storage Area Networkの広域化....。そんなに簡単なことではない。
さらにさらに、物理的なCablingの問題もある。現時点で普及している最高速度が10GEだが、それでは到底足りないので、何ポートも費やして引き回すとなると、これもまた新たな問題を生む。トポロジーが複雑になる。Ethernet Bridgingだとループする。
うー、全然シンプルではないではないか。それどころか、難問山積みである。
また、v6移行問題もまだ残っている。dual stackは、資源問題と考えると、どうみても非効率だ。しかし、今の時点ではどちらに転ぶこともできない。
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エントロピーは増大する。一からやり直してみたいと切望するが、なかなかそうはいかない。「シンプルにしよう」というのは、エントロピーの増大を抑えるために必要な抑制であるが、この「シンプル」を意味するものが、人によって(というか組織や立場によって)全く異なったりするから、これも始末が悪い。
IPが人口に膾炙した結果、でしょうか。
過去、UNIXが人口に膾炙した結果、ミッションクリティカルなものがUNIXに載ってきて、ダウンサイジング(死語?)ということがあったかと思います。
同様に、ミッションクリティカルなものがIPに載ってきて、結果、今までのIPとは違う要求条件・使い方が出てきて、これもダウンサイジングを志向している、ということかと思います。
IPになったからといって、思想までIP化するわけではない、ということなのだと思います。
インターネットも同様で、人口に膾炙した結果、リアルワールドから見たときは、一通信・情報拡散手段となり、ソーシャルプロセスという観点では、リアルワールドとのすり合わせが必要となってきている、ということかと思います。(プロテスタントvsカソリック?)
電話アーキテクチャ(パス、積み上げ、ホワイトボックス化、国を意識)vsインターネットアーキテクチャ(到達性、ワーキングコード、ブラックボックス化、世界は一つ)も、宗教観の差に過ぎない、と思われ、です。
ただ、人口に膾炙した結果、インターネットにおいても、宗教観・考え方の点で相容れない人たちがそこそこうまく生きてゆくための「ボーダー」が結果、ネット世界でも復活し、リアルワールドに影響するところまでくると、結果、リアルワールドの制約を受ける、ということになってきているように思います。
投稿情報: [email protected] | 2006.12.10 10:10
wataruさま、
しかし、必要集積度は上がるばかりで、ダウンサイジングとはちょっと違うのかなー、とも思います。
> IPになったからといって、思想までIP化するわけではない、ということなのだと思います。
ここなのですが、そう簡単に割り切れない気がしてなりません。技術可能性なんてそれこそ星の数ほどある中で、ある実装を選択させているのは、その時の社会構造であったり、イデオロギーだったり、それが反映した市場動向だったりする訳です。
くしくも、冒頭に引用したシューマッハは、イランの首相が、「われわれは欧米の技術だけを求めているのであって、そのイデオロギーを求めているのではない。避けたいのはイデオロギーの流入である。」と発言したのに対し、「技術はイデオロギーから中立だと思っているのだろうか?ハードウェアを、その背後でそれを可能にし、動かし続けているソフトウェア抜きに手に入れられるとでも思っているのか?」とも書いていました。
ただ、まだよくわからないのが、「NGN」と「インターネット」、パラダイムが異なるものと見た方がよいのか、それとも、あくまでも同じ地平で多少の違いがあるだけと見た方が良いのか。
投稿情報: Miya | 2006.12.12 01:14
> しかし、必要集積度は上がるばかりで、ダウンサイジングとはちょっと違うのかなー
大型機→ワークステーションと移ってきたときも、集積度はあがったような、です。
MIPS値でみても、今のワークステーションは当時の大型機よりあがっているような、です。
中型機のCOBOLでやっていた給与計算がエクセルとかのPCでやれるようになったときも同様ではないでしょうか。
ダウンサイジング(死語)には、常に集積度向上などによる性能向上があってこそ達成される、だと思います。
> パラダイムが異なるものと見た方がよいのか、それとも、あくまでも同じ地平で多少の違いがあるだけ
「パラダイム」、「地平」という次元を超越して、「宗派」の違いと見たほうが。。。
「宗派」の違うところで、善悪を論じても、エンドレスな「宗教戦争」が待っているだけでは、と。
それがわかっていて、宗教戦争を引き起こそうとしている人もいるような、です。
投稿情報: [email protected] | 2006.12.18 16:49