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2007.07.23

コメント

流しの戯言師

出席してなくて申し訳ないです。

「市場、規範、法、コード」と挙げられると、前3つが長期的遍歴に依存しながら reciprocity が幾分担保された制約条件、コードだけが短期でいじれる要素に一般に思われがちかと思います。

ですが、「アーキテクチャ」という語は本来4つすべてを指し、依拠する地盤・視座が異なるだけですよね、この場合。

地盤・視座の柔らかさから、最後の1つをいじって頑張れるんじゃないか?(以前おっしゃっていたところの脱構築の可能性)というスタンスに自分は居ましたが、結局、こいつも中に入れ子で4つが既に強固に作られ、今となっては可塑性に乏しい、と思うようになりました。インフラ的要素が強まってきた、という感覚は、入れ子という形で前者3つが形成された、と解釈できるかと思います。

それで、ここで無限後退するのではなく、敢えて縮退しないしんどい広義のアーキテクトというのが必要だし自ら成るべし、というのに共感します。

ただし、各入れ子構造の内部まで通暁したスペシャリストでありつつ、(4つx階層数)+階層間のインタフェースも持つゼネラリスト、というモノ・ヒトが存在できるかというと、極めて厳しい。と皆さま認識している。
それで深い入れ子構造を避け同じ階層に別の存在を並列して付加することで、入れ子をトラバースしインタフェースで繋ぐオーヴァヘッドや認知不可能を無くする方向にも目が行くのでしょう。

でも、モジュール化、というお話は、インタフェースの「またぎ易さ」を目指しているのではないかと。唯在るところの開放系として対象を捉えるならば、局所的相互作用で全体を縛ろうと頑張るのもナンなので、透過性・ポータビリティだけ確保しておく、このアプローチのほうが寿命が長そうな気が。

リフレクションとはよく言ったものですね。

コスト・時間・品質的にミートするかわかりませんが、とてもタフかつ楽しいことだろうなあと思います。

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登録年月 06/2006

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