startmac #4
人間はとかく怠惰で飽きっぽい。面倒くさいことはなるべくやりたくない。気まぐれで、予期せぬミスもするし物忘れもする。これは、書かれたとおりに動き、また書かれたとおりにしか動かない機械の対極にある。(言うまでも無いが、「書かれたとおりに」であって「意図したとおりに」、ではない。書くのは人間なので必ずしも意図どおりには動かないこと -バグ- はある。)そして人間と機械の間を取り持つのがマンマシンインタフェースである。
マンマシンインタフェースの設計のゴールは、「使い勝手のよさ」と「Fool Proof(ユーザがアホなことをしてもシステムに致命的影響を与えない)」と言われるが、これが結構奥が深い。
「Fool Proof」を作りこむためには、設計側がユーザがやりそうなことを予期しなくてはならない。しかし、予期しないことをやるのがユーザなので、語義矛盾的でもある。
「使い勝手のよさ」は、もっと奥が深い。まず、追求すると際限の無い分野である。例えば、直感に訴えるためになるべくリアルな世界へのアナロジーを求めたり、興味を惹くような効果を付加すると(最近のデスクトップはすごいですね)、CPU powerやメモリ等のリソースを食う。さらに、私がどうも気になってならないのは、「使い勝手は良ければ良いほど、好ましいのか」ということである。確かに、使いにくいシステムは悪い。これは間違いない。でも、あまりにも良くなり過ぎてしまうことの弊害もあるのではないだろうか。
- 提供側とユーザ側のリテラシー格差が広まる。
- 安易に外部記憶装置に頼る。
- 安易に直感に頼る。
- 改良や進化の方向は、もっぱら提供側により一方的にもたらされることになる。
使い勝手がよくなることは勿論よいことであるが、人間と機械との相互作用的なものはどこかに残されているとよいと思う。機械のロジックを垣間見て、「おおお、そんなふうに動いているのか」、と認識するのは良いことだ。そして生物と機械の違いを改めて認識・発見したり、機械に生物的なロジックを応用したりすることにつながる。
子供がいつのまにかMacbookを使い始めた。使い勝手はMacの信条の一つであろうが、不足(?!)のところを目ざとく見つけて、教材にしてみたいと思っている。
このあたりのバランス・調和は、歴史の長い自動車セクター、特にヨーロッパ圏のクルマが非常に参考になりますね。機能も造形も人間も含めたデザインにおいて。
投稿情報: 流しの戯言師 | 2007.08.07 07:25