チェロを始めたのは17歳のときなので、late starterである。最初に出会った楽器は4歳半で習い始めたピアノだった。中学高校という貴重な時間をどっぷり運動部で過ごしてしまった(!)こともあり、人に言えるほどのレヴェルには到底達していないのだけれども、それでも、ピアノが大好きだった。
交響曲や弦楽合奏、室内楽等を聴くにつれ、ピアノでは入り込めない世界があることに気付いてはいたけれども、実際に弦楽器を始めることになったのは、高校時代からの友人が誘ってくれたのがきっかけだ。自分ひとりだったら行動を起こさなかったに違いない。この友人には今でも感謝している。
で、飛び込んだ弦楽器ワールド。これがパラダイムの大転換であった。
まず、音程や響きは自分で創るものだ、ということ。「この音は導音だから高めに」とか、「長和音の第三音だから低め」とか。はぅぅぅ、という感じ。いや、考えてみれば当たり前のことで、むしろ、既に全ての音が調律されていることを前提とする(しかも平均律で!)ピアノの方が、楽器全体から見れば特殊と言える。しかし、この会話....。(実際は、遥かにそれ以前の問題も多いのですが。)強烈な目鱗体験である。
あと、とてつもなく上級者でも絶対音感が無い人がいる、というのも驚きだった。むしろ邪魔なのかもしれない。音の高低でなく、響きと波長のうねりで音を捉える。(私は未だに音の高低で捉えているところがある。5度の調弦で波長のうねりを捉えるのが不充分で、これはコンプレックスである...。)
スラーやスタッカート記号の意味が、時と場合によって大きく違うことにも驚く。というか、奥が深すぎて、今でもよくわからない。どうも音の長さや奏法だけで説明がつくものではないのだ。スラーは、基本的には、運休(弓の返しの位置)を”ある程度”表すと同時に、レガートを表す。細かいスラーは、頭に重みやアクセントをつけて、後の音を抜き気味にする場合もあるし、そうでない場合もある。この辺は、さらに他のいろいろな楽器の奏法を知ると、非常に勉強になる。例えば管楽器では、これらの記号でタンギング方法や息遣いを”ある程度”表す。そして、それぞれの楽器の奏法の違いを乗り越えた、何か共通のものが見えてくる。
レガートというのもかなり難しい。もちろん、原理的には、弦楽器はピアノに比べればレガートしやすい筈だ。しかし、弓の返しや移弦、運指、ポジション移動で音が微妙に途切れる。そしてこの微妙な途切れが完全な命取りになる。
これは冒涜になるようでなかなか言いにくいのだが、弦楽器はエチュードがつまらない傾向がある。ピアノでも、ハノンやツェルニーは単調と言われるが、とんでもない、十分美しいです。ショパンやスクリャビンは別格としても、初歩のエチュードでも美しいものが多い。ブルグミュラー25の練習曲の一番「すなおな心」なんて、もう涙が出ますね。弦楽器の場合は、音階やアルペジオを弾くだけでもう十分曲になってしまうので(美しく弾ければの話であるが)、何らかの課題を克服するためのエチュードは、ある程度音楽性を犠牲にせざるを得ないのかな、とか、微妙な和声の変化はつけにくいしな、とか思う。
そのためかどうかわからないけれども、弦楽器奏者には「求道者」が多い。ひたすら音階、重音、アルペジオやエチュードをさらうのは、座禅を組んで心頭滅却するのと等しい。日々是修行。修行あるのみ。
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