おー、前村さんから、「子供が言語を習得する過程」にコメントを戴いた。ありがとうございます。
ですよねー。子供は、「知ってる?」と聞かれて否定形で答えようとする時、「知ってない」と答える。前村さんも、そこに気付かれ、ご自身のブログに記録されていらした。さらには「はてな検索」で調査迄されていた。
「知ってる?」の応答が、何故、「知らない」になるのか。私は実は、未だに完全に腑に落ちてはいない。
動詞の中には、その動詞自体で、現在完了的な「ある状態」を表すものがある。英語で言うと、knowとかhaveとか。日本語は時制がさほど厳密ではなく、現在進行形と同じく「テイル」をつけることにより状態を表すことが多い。「知ッテイル」「持ッテイル」。
外国語(少なくとも私の知っている)では、このように時制やアスペクトが呼応しない例は思いつかない。"Do you know xxx ?"と聞かれれば、勿論"No, I don't.", "I don't know xxx"である。フランス語でも、"Est-ce que vous savez xxx ?"に対して、"Non, je ne sais pas."
さらに、日本語でも、このような例は「知っている」だけである。「xx持ってる?」と聞かれれば「いや、持ってない」だし、「似ている?」「似ていない」「愛してる?」「愛してない」だ。「持たない」とか、「似ない」とか、「愛さない」とか答えるのは明らかにおかしい。質問者は多くの場合「そのときの状態がどうか」、ということを聞いているのに、「持たない」とか「似ない」とか「愛さない」とかいうのは、「過去も一回もそうしたことはないし、これからもたぶんそうしない」、というようなニュアンスさえ含む。「知ってる?」に対して「知ってない」と答えるのは、むしろ自然なのではないか。
日本語では、文法的に呼応しない、という不自然さを冒してまでも「知らない」と答えるのはなぜか。
現在完了的「状態」を表す動詞は、厳密には次の二つに分類される。一つは、「先行する行為の結果としての状態」を表すもの。もう一つは、「状態そのもの」の方に重きがおかれるもの。「知っている」というのは、「過去に知識を得た結果、現在知っている」という状態にある訳なので、前者に近い。ここで、面白いことがおこる。「xxを知っている?」と質問された人は、質問されたという事実により、そのことに関する知識を得てしまった、ということになる。そのため、常識を持った大人であれば、質問を受けた途端、そのことについて「知っていない」とはパラドクスになり、そうは言えなくなってしまうのではないか。だから、「そのことは過去も知らなかったし、こんな風に質問されなければ、これからもたぶん知らなかっただろう」という意味をこめて、「知らない」と答えるのではないだろうか。
うーん、日本語奥が深いぞ。(仮説に過ぎないが。)では、西欧語ではなぜ、そのようなパラドクスを感じなくて済むのだろうか。さらに仮説を重ねてしまうと、西欧では、知識を得るだけでは知ったことにはならないのではないかと思う。考えて、考えて、自分のものにして、初めて「知った」ことになる。あぁ、だから、Que sais-je ? (我何をか知る)なのである。
なるほど。仮説興味深いです。
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でも分かったつもりになったし鋭い観測はあったんですが、結局今納得してなかったりしますので。(だめぢゃん。)
今はてなは仕事ネタに絞ってしまったので、コメントにて失礼します。
投稿情報: maem | 2006.07.04 06:33