書きたいという思いが強いのに、なかなか書くことがまとまらないテーマがある。dasのこともその一つだ。dasとは、所属している弦楽合奏団、平塚弦楽ゾリステンのことだ。何故か皆dasと呼ぶ。daßと書くのが正しいのかもしれない。
dasとの出会いは偶然だった。イタリア在住の友人(この人のこともそのうち書く)がたまたま一時帰国していた時に、その友人の友人が出場するというので、演奏会を見に行ったのがきっかけだ。
大学卒業の頃、ジュネスで弾いていた時に新響にスカウト(?!)して貰い、そのまま入団したので、他の団体のことは殆ど知らない。地元にこのような弦楽合奏団があるなんて思っても見なかった。新響は、演奏、練習、運営のどれをとっても素晴らしいところで、できればずっと続けていたかったが、出産し、転職し、さらに仕事の責任も重くなり、仕事と子育てだけでもてんてこ舞いの毎日になり、活動を断念せざるを得なくなった。
dasの演奏会に行ったのは、下の子が4歳になった時。まだまだ手はかかったが、ようやくある程度生活が落ち着いてきたので、演奏に復帰したいという思いが強くなっていた。かといって、ウィークデーは仕事で忙殺され子供との対峙もままならない状態で、休日に往復3時間かけて都内まで練習に通うのは、やはりまだ無理。そんなときに、地元で練習できる団体があるなんて、と飛びついた。演奏会終わったあとすかさず「チェロを弾きます。入れてください。」と言いに行った。(変なヤツと思われたかも。)
正直なところ、最初は、本格復帰の前の腰掛けくらいに考えていた。しかし、そんな思いは徐々に吹っ飛んでいった。まずオケのように大所帯ではないので、一人ひとりの責任が非常に大きい。指揮者をおかない室内楽スタイルなので、自分で意思を持って弾かなくては音楽にならない。そして熱心に指導してくださる正門憲也先生の存在。
正門先生の音感は尋常でない。かつ、マルチタレントタイプで、いつも音楽が身体から溢れている。青島広志や、(岩城宏之のエッセイによると)山本直純もこのタイプなのだと思う。譜割りの超難解な近・現代ものでも、自分のパートを弾きながら(!)、他のパートを歌う、入りを示す、ちょっとした音の差異を指摘する。かと思うと、駄洒落や他愛も無い冗談で場を和らげる。
先生の本業は作曲家である。桐朋の先生でもある。わざわざ平塚くんだりまで来なくても、いくらでも腕のよい弦楽奏者を集められるであろうに、わざわざ足を運んでくださる。先生から教えてもらったことは計り知れない。和声進行のかたち、記譜法、構造。ご自身が作曲家であるがゆえに想像できる、その時代時代の作曲家の意図、意匠。曲の構想を的確に捉え、イマジネーションを働かせ、それをいろいろな手段で伝えてくださるのもすごい。バルトークの「弦楽のためのディヴェルティメント」で、不協和音極まって倒錯的になるところがあるが、先生は、それを顔を手で思いっきり歪めて「こんな感じ」と仰る。ムンクの「叫び」を想起する。
実際、先生の感じている音を少しでも感じ取り、実践するには、週末音楽家のノリではついていけない。それなのに、今日も新しい曲をほぼ初見で臨むことになってしまったから撃沈した......。
いや新しい曲だけではない。よく知っているつもりの曲でも、イメージどおりの清冽さ、滑らかさ、爽やかさ、切れのよさが出せない。そして練習のたびに、凄まじく落ち込む。しかし、長い目で見れば、意識を研ぎ澄まそうとすることによって、少しだけ演奏も上達してきたような気もする。
少人数の団体で、安定性も無い。いつまで続くかわからない。ここでこのように音楽に取り組めることは、奇跡のようにも思える。できるだけ長く続くことを願うのみである。
>不協和音極まって倒錯的になるところがあるが、先生は、それを顔を手で思いっきり歪めて「こんな感じ」と仰る。ムンクの「叫び」を想起する。
すっごく想像できます!!!笑
投稿情報: Naoko | 2006.09.19 18:20