何が難しいって、自分の子供に音楽を教えることほど難しいことはない。
長女は何故か、乳幼児の頃から、自由を阻害されそうになったり、「こうでなければならない」という押し付けをされることを敏感に察知して極端に嫌う。大体この人は、「学校は自由時間が短いから嫌だ」と言って、何度か不登校寸前になった実績も持つツワモノだ。(この辺の状況については、別の機会に書くかもしれない。)
4歳後半からピアノを習わせ始めたが、芸事の特に初歩のうちはどうしても「こうしなくてはならない」という定石がある。身体の使い方、手の形、指使い、指のタッチ、音階、テンポの安定。まずはそれを自分のものにしないうちは自由なんて全く意味を持たないのに、そんなことはわかってくれない。共働き家庭の子供は平日は夜まで保育園なので、土曜日の夕方に先生のレッスンをお願いし、それまでの時間、下見を私がすることにしていたが、嫌がる子供を押さえつけてレッスンするのは修羅場だ。週末しか親子のふれあいの時間が取れない我が家で、その大事な時間をひたすら押さえつけに費やしてしまうのは、なんとも悲しいことだった。
さんざん悩んでいたが、ある日長女が、「わたしはピアノでなく美術をやりたい」と言い出した。本人は、ただ「やめたい」と言っても私がやめさせそうもないことを察知して、代替案を用意して交渉してきたことと思う。幸い近所によい造形教室が見つかったので、ピアノはひとまず休止し、造形教室に通わせた。造形教室は、作品についての大雑把な目標を示すだけで、後は「本当にいいのか?」と思うくらい、本人の自由意思に任せる。また、楽器とは違って、事前のおさらいの必要は殆ど無い。ただそこに行き、絵を描いたり、謎のオブジェを作ったりして自分を表現する。さらに幸せなことに、先生は何かしら良いところをみつけてほめてくださるのだ。そこでようやく彼女は自分の居場所を探し当てたように、くつろぎ、穏やかになって行った。
子供は親の思うとおりにはならないものだ、なんて当たり前のことをしみじみ悟っていたら、ある日突然、「管楽器ならやってもよい」、といい始めた。管楽器は私は勝手がわからない、といっていたので、それなら親にウルサイことは言われないと思ったのかも。「クラリネットはどう?(モーツァルトとブラームス.はクラリネットの素晴らしい室内楽曲を作った。将来合奏できたらどんなに幸せだろう...)」という私の薦めにはやっぱり反抗して、フルートをやることになり、現在に至る。
次女の場合は、次女特有の要領の良さと素直さで、長女ほどの抵抗はなかった。きれいな和音を見つけると、うっとり響きを楽しんでいるようなところもあり、かなり音楽も好きな様子。現在はピアノに加えて、ヴァイオリンも習っている。但し、素直なのは、先生に対してだけで、親への反抗はひどい。
親子だとお互いに容赦ないから難しいのだ。私もついつい、「音程悪すぎ」とか、「うーん、もうちょっと何とかならないの」とか言ってしまう。確かにこんなこと言われたくないよなぁ。さらに、基本的な調号を忘れようものならパシッと叩いてしまったり、必ず同じところでつっかえたり間違えたりするのを見ると、無性にイライラして強く注意してしまう。敵もさるもので容赦ない。「うるさいんだよ、このばばぁ」とか、「弾いてるときに話しかけるから間違えるんだ」とか、「何度も同じこと言われるとやる気無くす」とか言う。(あー、でも確かにこう書いてみると私が悪いな。でもねー。同じこと言われるのが嫌だったら自分で注意してね。)
悪態つきはどんどんエスカレート気味で、先生の言っていることと少し違うことを言ったりすると「先生はそんなこと言っていない。おかあさんはおかしい。」というし、先生の言っていることと同じことを言うと、「先生の真似してるだけだ。」という。あああ、そんなにも親には言われたくないのだ。
という訳で最近は心頭滅却して、なるべく口出しはしないことにした。しかし言われなければ良いかというと、やはりとても効果的な練習ができているとは思えない。そもそも、平日は遅くまで学童なので、帰ってくると食事をして宿題をして明日の支度をして寝るしかない、という生活パターンも、芸事にはよくない。
親子がしっかり信頼関係を築き、かつ才能を伸ばす、というのは一体どういう奇跡なのだろう。当然較べるべくもないけれど、五島節のことを遠い眼で想う。
> 親子がしっかり信頼関係を築き、かつ才能を伸ばす、というのは一体どういう奇跡なのだろう。
あ、どこのご家庭も同じなのですね。。。
たとえば、音楽の才能を伸ばすときに、親は逆に音楽に造詣が無いほうが、というところもあるのでしょうね。。。
悩ましい、です。
投稿情報: [email protected] | 2006.10.20 00:20