今から思えば、この友人との出会いは、私にとっての、小さな異文化体験の始まりだったと思う。
高校に入学した頃、父上の研究の関係でイギリスに家族で住んでいて、その後帰国した子がいるというのは、何となく噂で聞いていた。彼女とは、2年からクラスもコース(クラスとは分離された、授業を受ける単位)も一緒になった。当時の私は、精神的にも未成熟で、何が何だかよくわからないまま、日夜部活で走り回るだけの、ボーっとした人間だった(今もか)。それなのに、何故か、私たちは気が合った。
サリンジャーやフィッツジェラルドの小説を知ったのも、彼女からだ。観察眼が鋭く、クラスメートや教師の挙動を的確に描写するので、それを聞く私は笑い転げていた。意見が分かれるような議論になると、大きな、黒目勝ちの目をまっすぐ据えて、「それで、美也ちゃんはどう思うの?」。。それまで自分の意見の表明なんてしたことがなかった私は、たじたじするばかりだった。我ながら情けないと思い、「明日は少なくともすぐに目をそらすのはやめよう」などと、鏡に向かって練習したこともあった。
大学受験近くになると、一緒に早弁したり、授業をさぼって図書館に自習にいったりもした。受験会場にも、合格発表の確認にも、二人一緒に行った。(普通に考えると、どちらかが落ちたりしたら、いや落ちるとしたら私だろうが、その気まずさをどうするつもりだったのだろうという気もするが、そんなことより、一緒にいることが自然だった。)
大学に入ってからはさらに、クラブ(オーケストラ)も、学科の専攻も同じで、常に一緒にいた。たまに一人でいると、周囲からは「片割れはどうした?」と言われる始末。あの時オーケストラに入ったのも、完全に彼女の影響だ。「いつも一緒」状態は、彼女がイタリアへの留学の計画を始めた大学3年頃まで続いた。
その後、彼女は計画通りイタリア(ヴェネツィア大学)に留学し、そのままヴェネツィア大学で講師の職を得、イタリア人と結婚し、家庭を築いている。お互い筆不精ながらも文通を続け(最近ではもっぱらメールだが、手紙が懐かしい)、彼女も時々帰国するし、私もたまにイタリアにいったりする。これだけ付き合いが長いと、大体考えていることもわかるが、それでも、新たな発見が、常にもたらされる。
「畑の向こうのヴェネツィア」は、その彼女のエッセイ。装丁は実の弟さんが担当され、しかも出版社は憧れの白水社。とても素敵な本に仕上がっている。
実は最初に(かなり前だ)、「シモーナ」の章の草稿を送られたとき、「もう少し、テーマや、何故書くのか、何を伝えたいのかを明確にした方がよいのではないか」、などという、不遜な感想を伝えたことがあった。しかし、改めて本を読み直してみて、そんな考えはふっとんだ。そんなことを言った自分の浅はかさを恥じ入るのみだ。
まず、文章自体が瑞々しく、さりげない日常を鋭く浮き彫りにする表現力を持つ。また、基調となる視座がしっかりしているため、話題がぶれることがない。静かに、間接的な、異文化体験をさせてもらった感じがする。異なる社会や文化、そして自然とのふれあいは、常に感覚を新鮮にし、思考を深くする。
ところで、ヴェネツィアといえば水の都なのに、何故「畑の向こう」なのでしょう。彼女の住むノアーレは、ヴェネツィア本島からは少し離れたところにあり、家の窓から見えるとうもろこし畑は、息をのむほど広大です。
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