1月14日のおさらい会で、私はクリスチャンバッハ(J.C.Bach)のチェロコンチェルトを弾くことになっている。ちょうどベルリンから一時帰国中の薗田さん(Pf)とその友人の磯野さん(Vc)に伴奏して/聴いて/見て貰い、貴重なコメントを戴くことができた。さらに幸いなことに、お正月休暇のお陰で、いつもより多少はじっくりさらうことができる。今回は、「脱力。決して力まない。しかし充実した音を出す。」を目標に、ベストを尽くすつもり。これがなかなかできないのですが。
ところで、このJ.C.Bachのコンチェルト、謎が多すぎる。
1) 曲自体はよく知られている。少なくとも弦楽器奏者の間では、「あー、あれね」という感じ。
2) それなのに音源が殆ど無い。AmazonやNaxos、他を探しまくるが、見つからない。
3) 演奏会でも、探索した限り、全く取り上げられていない様子。
4) 作品番号がない。どうもJ.C.バッハの作品リストにも載っていないらしい。
J.C.Bachのc-mollのコンチェルトは一つしかないので、楽譜は容易に見つかった(楽譜のページにリンクがはれないので、画像をコピーします。出典:sheetmusicplus.com)。出版社はFrance/ParisのEditions Salabert。
その楽譜の巻頭の解説には次のように書かれている。
「Francis Salabert(*1)は、彼の米国への最後の旅行の前に、Henri Casadesus(*2)に、Johann-Cristian Bachがロンドンで1768年に作曲したヴィオール、チェロ、ヴィオラまたはヴィオラポンポーザのための、ハンマークラヴィアによる試伴奏を伴った2つのコンチェルトについて、再建、和声付け、オーケストレーションすることを依頼した。
全ての資料は、当時古楽器協会の代表であったCamille Saint-Saënsにより、Henri Casadesusに託された。
Francis Salabert夫人は、この2つの作品のあらゆる形態を完全に出版することを熱心に推進した。それは、最初の出版を実現した彼女の夫への追悼である。」(原文仏語。訳がおかしかったらすみません。)
うーん、なんだかちょっと怪しい。要するに、原作Christian Bach、編曲(再建、和声付け)Henri Casadesusになっている訳だが、全ての資料がCasadesusに託されてしまったのなら、どの程度原型があったのかを調べる手段が無い。1768年に、ロンドンで、というところだけが妙にリアルだが、少なくとも、この曲の特長とも言える流麗な和声の変遷がCasadesusに依るものなのであれば、Casadesusに依る曲とする方が正しいのではないか。実際、Cristian Bachのあの透明な作風とは少し違うし...、はたと思って、"Casadesus""concerto"でAmazonやNaxosを検索したら、出てきた出てきた...。どうやら、世間一般的にも、J.C.Bach偽作、Casadesus作曲ということになっているらしい。
(*1) Francis Salabert
フランスの老舗楽譜出版社であるEditions Salabert(2001年よりBMG group傘下)の創業者。創業は100年以上前で、多くのヴァラエティに富んだ楽譜の数々は、フランスパトロン制による至宝と言われる。オネゲル、ミヨー、プーランク、サティ等の出版で有名。また、ショパンのコルトー版や武満徹などの出版も手がける。
(*2) Henri Casadesus (1879-1947)
フランスの、作曲家、指揮者。ヴィオラの名手でもあった。サンサーンスとともに、「古楽器協会(la Société des Instruments Anciens)」を創設した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Henri_Casadesus
http://www.casadesus.com/
しかし、サンサーンスは、古楽器協会創立なんてこともやってたんだなぁ。そういえば、この曲、減七和音展開で駆け上がっていくところなど、サンサーンスのチェロコンチェルトにも少し通じるところがある。
いずれにせよ、大分謎は解けてきた。2)、4)は明らか。1)についてだが、この曲は何とスズキのヴィオラメソッドに取り上げられているそうだ。(↑のHeri Casadesusに関するWikipediaで知った。)それでなくても、ヴィオラコンチェルトはそんなに数が多くないので、大抵のヴィオリストはこの曲を弾いたことがある筈。従って、ヴィオリストを友に持ったり、自らヴィオラも持ち替えて弾く弦楽器仲間は、きっとそれをどこかで耳にしているのだ。
しかし、3)はよくわからない。演奏会に偽作疑いのある曲を取り上げるのはあまり好まれないのであろうか。しかもコンチェルトであるから、ソリストとオケの双方の意向が一致する必要があり、さらに敷居が高いのはわかる。でも、学術・研究目的を除き、偽作であろうが真作であろうが贋作であろうがどうでもよいと思う。良い音楽かそうでないかが問われるのみだ。そして、年月を経て残った偽作(といわれるもの)は、本当に「作曲者なんてどうでもよい」と思わせるほど、ユニヴァーサルな美しさがある。例えば、パッヘルベルのカノン、ハイドンのセレナーデ。
偽作は、多くの場合、出版社や実の作曲者自身が「大作曲家の名を冠する方がより多く売れ普及するであろう」、という判断で行われる。しかし、全く無関係な作曲家の名前を冠する筈もなく、その作曲家のモチーフを使って、とか、その作曲家からインスピレーションを得て、等、その作曲家への敬愛もある筈だ。また、「名よりも実を取る」ことを選択した、というのが、何だか切ない。
...と、せっかく少し時間の余裕があると思ったのに、こんな調べごとに費やしてしまった。さらわなくちゃ!!
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