Startmac #7
先日のエントリーの続き。自分たちの弦楽合奏演奏会の記録(動画)を、.Mac Webギャラリーにアップロードした。なかなか素敵。そこで、まずはメンバーに知らせようと、得意気にメールを出した。そうしたら、程なくして、主宰の正門先生から電話がかかってきた。
通常、大抵の連絡はメールで済ませるので、電話なんて珍しい。何事だろう、と出てみると、「著作権法に抵触する可能性があるので、至急公開を取りやめるように」とのこと。
前回のプログラムの一つとしてJ.ラターの「弦楽のための組曲」を取り上げたが、ラターは現在存命である。また、メインのバルトークは、作曲家個人の著作権は切れているが、楽譜の出版社が版権を持っているとのこと。さらに、その前の演奏会では、ソリストを招聘してコンチェルトを演奏しているが、それも「著作隣接権」に抵触する可能性がある、ということだ。これらを演奏会で取り上げること自体に関しては、正門先生が細心の注意を払い、その都度法的な検討、対処をして下さっているが(先生は作曲家かつ教育者でいらっしゃるので、日々の仕事が、常に何らかの形で著作権にかかわっている)、その映像を公開する、という行為は、それとは全く別物である、ということだ。
私も職業柄、技術論文やソフトウェアなどに関する知的所有権については注意を払っているのに、音楽の著作権について、全く意識が足りなかったことを、ただただ恥入るばかりであった。
一方、技術の世界には、パブリックドメインという概念がある。公開することにより、皆でよいものにしていこう、という考え方である。開発者もユーザも、それぞれの立場で高い意識を持つ必要があるが、この考え方によって、大きく革新を遂げた領域があることは間違いない。これが芸術の分野でMakeするかどうかはわからないけれども、少なくとも、新しいメディアの可能性を閉ざさないでおきたい。また、一言で「公開する」といっても、「広く遍く」のBroadcast的公開と、今回のような関係者とその知人程度へのささやかな公開とは、扱いを変えるべきと思うが、技術方式が一緒であれば区別できない、ということになろうか。
いずれにせよ、著作権の問題は、市場原理ではカヴァーできない文化的価値をどう考えるか、という、結構重い話である。もう少しよく考えてみようと思う。
Podcastingとかに関連して、「クリエイティブ・コモンズ」というようなものが出てきているようです。
Wikipediaにいろいろなリンクがあったりしています。
ソフトウエアの世界では、GNUにおいて、法的なところを整備しながらそのコンセプトを具現化してきたのと同様のsocialなアプローチかと思われます。
釈迦に説法でしたら、ごめんなさい。
投稿情報: [email protected] | 2007.09.20 13:01