インターネットの良さは、「何でも取り込む」というところにあると思う。まずは包摂し、後は淘汰的フィードバックに任せる。
しかし、「トランジションできるか」というと、これが難しい。(トランジションすべきかどうかは、ここではひとまずおくとして。)例えばIPv6。IPv4アドレススペースが足りなくなることは分かっているのに、移行できない。
なぜか。答えは自明である。IPv6に移行するにしても、しないにしても、皆が一斉に切り替わるのは不可能である限り、NAT(NAPT, NAT-PT含む)はどのみち必要。しかし、IPv6のメリットは、NATなどという複雑なことはしなくてよい、というところにある。ここがジレンマだ。「NAT邪悪」、「網はtransparentであるべき」、というIPv6原理主義が、逆説的なことに、IPv6への移行を阻害する。
さらに逆説的なことには、移行のために仕方なくNATの類を認めたとたん、今度は移行する必要性自体が減る。ううう、究極のジレンマ。
そんなこたないですよ。お渡しした資料、読んでみてくださいね。オフィスは近いので、いつでもいらしてくださいな:-)
投稿情報: みやかは | 2007.10.17 13:22
はい。お話伺いに参ります。Nanog MLも何だか騒々しいですね。
投稿情報: Miya | 2007.10.20 21:43
問題設定としては、人々はトランジションできるか? でしょうね。只今、今夜締切りとなった「包摂」と格闘中。
投稿情報: tss | 2007.10.21 00:13
人々はトランジションできるか。難しいのは下記。
- 管理と自由の均衡点を探る。
- GlobalizationとConvivialityの均衡点を探る。
- 各個人や各組織の利益と、公益との均衡点を探る。
投稿情報: Miya | 2007.10.22 00:18
中学生の頃、「校則を守らないやつがいるから校則が厳しくなるんだ」とクラス会で訴えたことが思い出されます。
投稿情報: tss | 2007.10.22 08:54