先週のIW2007で、次世代ルーティングというセッションを担当させて戴いた。今回は、慶應大学の湧川さんという、Mobile Architectureの分野での第一人者とご一緒させて戴き、大いに勉強になった。プログラム委員の江崎先生、浜田さん、向井さんに、感謝したい。
しかし、「次世代~」というお題を戴いたものの、私の問題意識は、次世代以前に、そもそも「インターネットはトランジションできるのか」、というところにあった。
インターネットは、self-similarな自律分散システムであり、「設計し構築する」、という建築物とは違い、その進化発展や振る舞いはむしろ生物のようなものに近い。自然の生物であれば、望む望まないに関わらず、寿命があり世代交代が行われるが、そこは人工物であるため、一からやり直す、ということがしにくい。しかも、当初そんなつもりもなかったのに(?!)、社会インフラなるものになってしまったため、何か新しいことへのチャレンジも失敗も許されないような雰囲気。一方、ビジネスインセンティヴが無ければ投資できない、という現実もある。(本当に社会インフラなら、市場原理とは相容れないのではないか、という気もするが、それはそれ、なのか。)さらに、Global規模で全て繋がっているからこそのインターネットであるから、例えば、ある一組織の判断や行動で何かを推進することもできない。
では、インターネットにトランジションは必要なのか。...このところずっと考えていたが、Yesだと思う。ディジタル情報社会に由来する現在の問題(セキュリティ、著作権、匿名性による諸問題、等等)はひとまずおいておいたとしても、物理的な資源問題というものがある。IPv4アドレススペースは最たる例であるし、もしIPv6に移行できたとしても(これさえも非常に難しいのに)、ルーティングスケーラビリティの問題は残る。勿論、これまでも、半導体集積度や光技術は、ブレークスルーを繰り返してきたし、これからも期待するが、ある程度トランジションできるしくみをインターネットにBuild-inできない限りは、今後、環境が様々に変化する中、永きに渡って続く進化発展は見込めないことになる。また、新しい技術可能性というのは(良し悪しは別として)、最初は一部の人だけに見えていて、他の殆どの人には見えない。皆が合意して一斉に移行、というのは起こりにくい。
現在の、IRTF/RRGを中心としたルーティングアーキテクチャ再考議論で主に取り上げられているのは、IPアドレスが持つ2つの意味 - Locator(位置を特定するもの)とID(エンドシステムを特定するID) - を分離しよう、というもの。この分離により、コアネットワークはLocatorのみをcarryしていればよいので、コアにおけるRIB/FIBエントリー数を削減することが可能になる。しかしこのためには、分離したLocator/IDのマッピング/バインディングのしくみ、およびマッピング情報の伝達のためのしくみ、そしてencapのためのトンネリングが必要になる。技術的懸念として、マッピングが変わった時のコンヴァージェンス時間、トンネリングのためのオーヴァヘッド、ボトルネックがあるが、それ以前に、このままではdeploy可能性が無いような気がする。何といっても、コスト対効用が、IPv6よりもさらに不明確である。移行のmotivationを見出すのも容易ではない。
ところで、このLocator/ID分離によるアーキテクチャは、HA(Home Agent)が、Home AddressとCoA(Care of address)のバインディング情報に基づき、Tunnelを生成する、Mobility Architectureと符合する。さらに、これは今回湧川さんにご教示戴いたのだが、HAのsingle point of failureやperformance bottleneckを防ぐため、BGP anycastによるHAの分散や、CoAの複数経路化(multipath!)も考慮されているとのことだ。さらにさらに、これらMobilityのためのルーティング情報を、IXを介して相互交換することも、実験段階ではあるが、行われつつある。こうなると、Mobilityを実現するための構造は、現在のインターネットとは別プレーンとして考えた方が考えやすい。
IRTF/RRGにおけるLocator/ID分離も、要するに現在のインターネットを階層化することにより、スケールさせようとするものだ。それなら、こちらも、新たにできる階層を、現在のインターネットとは別プレーンとして考えると考えやすい。プレーンを分けておいて、下部構造は極力意識しなくて済むようにしておけば、共存や移行がある程度現実味を帯びる。"map and encap"を自己完結的に解決しようとするから、コスト対効用とか、移行が問題になるのではないか。
「やはりオーヴァレイなのか。」これが、今回のセッションのWrapupでコメントを求められて発した言葉。オーヴァレイなんて、もうずいぶん前から注目を浴びているし、我ながら陳腐かつ身も蓋もないコメント、と思ったけれど、強く感じたのがこれなので仕方がない。
そういえば、「Testbedとしてのオーヴァレイ」とかいう言葉を聞くけれども、ああ、そういうことなのか、と突如合点が行った。今のインターネットは親世代となって、子世代のいくつかの技術可能性をオーヴァレイとして育む。子世代の技術が成熟、普及すると、インフラ運用のメインプレーヤーとして世代交代する。(ここで、階層化していたものを、再度flat化する局面もある。)こうすることによって、インターネットの進化発展の可能性が開けるのかもしれない。
次なる問題は、アナーキー的p2p(?!)と、将来性のある子世代としてのオーヴァレイを区別できるのか、区別すべきなのか、というところだろうか。
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