どうも子供は自分で考えて言葉を使って(作って/活用させて)いる。そしてそれには、それなりの立派な理屈がある。それを、少しずつ、常識や社会通念に合わせて適応して行くのだろうが、フツウになって行ってしまうのは、寂しい感じもする。小さい頭で一生懸命考えて、紡ぎ出した言葉というのは、何とも愛おしい。
最近のおもしろかったネタ二つ。
- 「おみやげ返して」
先週IETFで一週間出張し、帰宅した時に何度も言われた言葉である。いや、いつも出張から帰るなり、まとわりつかれて、「おみやげは?」「おみやげちょうだい」と言われるのだが、「おみやげ返して」、と言われたのは初めてだ。
大体、今の子供にとって、モノは溢れているし、食べ物だって大抵のものは日本でも手に入るどころか、日本の食べ物の方がおいしい場合が多い。おみやげなんてあまり欲しがるとは思えない。それなのに、出張の度に必ずおみやげをねだられるのは何故かと思っていたが、「おみやげ返して」と言われ、はっと気がついた。「一週間も寂しい思いをしていたんだからね。それを償ってください。」ということか。
そういえば、英語で給与等のことを"compensation"と言う。"compensate"は、償うとか埋め合わせるとか言う意味で、初めて外資系企業のofferにsign upしたとき、不思議な感じがしたものだが、時間と労力をかけて仕事をするので、それに対する償い、ということなのだろう。子供の言う、「返して」、という感じに少し近い。
という訳で、非常に愛おしかったので、いつもは子供を寝かせてからがお仕事タイムなのだが、その日は「一緒に寝よう」と言って、一緒に布団に入った。(が、私が即、先に眠ってしまい、全く意味が無かった。)
- 「あっ、知った!」
宿題をやっていた時、「うーん」と思いを巡らせ、はっと気がついた時に発した言葉である。「知ってる?」に対して、「知ってない」と答えていた娘なので、こちらももう驚かない。「わかる」と「知る」の区別があまりついていないのだろう、と思う。
しかし、よく考えてみると、「わかる」と「知る」の違いって何だろう。問題は「わかる」で、事実は「知る」、だろうか。「わかる」は「解かる」だから、自分で考えて解決に至ったときには「わかった!」となる。でも、たまたまその時ちょっと思い出せなくて、それをぱっと思い出したときは、「わかった」とは言わない。大人だったらこのような時、「思い出した!」と言うのであろうが、それを「知った!」と言ってしまったのだろうか。
でも、英語だったら、"Ah..., now I know it !" と言ってもおかしくないような感じもする。「知る」という動詞は、本当によくわからない。行為を表すのか、状態を表すのかも曖昧だ。愈々以って、"Que sais-je ?"(我何をか知る)。
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