一時期、「生きるって何のため?」、「死とは何?」、ということを考えあぐねていた時があって、死に行く人の闘病記や医師の手記、そしてアルフォンス デーケンやエリザベス キューブラー=ロスの、死生学に関する本を読み漁っていた。中でも、スイスの精神科医キューブラー=ロス著「死ぬ瞬間」は世界的にも著名な書で、200人の余命宣告された患者とのインタヴューによって導かれた死の受容に至る5段階のモデルは、それまで思い至らなかった捉え方であったため非常に印象的だった。(ところで、この書をなぜ「死ぬ瞬間」と訳したのかよくわからない。"瞬間"ではなくて"プロセス"だと思う。なので、タイトルには邦題ではなく原題"On Death and Dying"を載せておく。)
その5段階のモデルとは次のとおり。
[Stage 1: Denial (否認)]
予期せぬ事態、衝撃を直視できず、「そんな筈はない」と否定する。
[Stage 2: Anger (怒り)]
なぜ私が?理不尽だ。怒り。不満。
[Stage 3: Bargaining (取引)]
生活を改めるから生かして欲しい。せめて○○までは生きたい。
[Stage 4: Depression (抑うつ)]
あきらめ。無気力。落ち込み。
[Stage 5: Acceptence (受容)]
解脱。穏やかな心境になり、自らの死を受け入れる。
私の方は、そのうち子供が生まれたりして、目前の生を育てる(というよりは活かしておく)のに精一杯になり、この本のことは記憶の底に深く沈んでいた。
...それなのに、最近、なぜか仕事関係で、このキューブラー=ロスの5段階モデルが言及されているのを相次いで発見して、ちょっと面喰っている。
●例その1 - 「製品に脆弱性が発見された時!!」
James Duncanの資料より。
[Stage 1: Denial (否認)]
「それはセキュリティホールではない。機能仕様だ。」
[Stage 2: Anger (怒り)]
「一体誰がそんなこと言い出したんだ。いい迷惑だ。」
[Stage 3: Bargaining (取引)]
「条件を変えれば脆弱性は無いのでは?」
[Stage 4: Depression (抑うつ)]
あきらめ。無気力。落ち込み。
[Stage 5: Acceptence (受容)]
解脱。正しい手を打ち、また将来同じことのないように備える。
●例その2 - 「IPv6の受容 」
Tony Hainの資料より。
[Stage 1: Denial (否認)]
「IPv6なんて来ないだろう。」
[Stage 2: Anger (怒り)]
「ひどい。そんなの聞いてないよ。」
[Stage 3: Bargaining (取引)]
「せめて自分が引退するまではこのままで...。」「NATがある。」
[Stage 4: Depression (抑うつ)]
「NATだと、いくつかのアプリケーションが正常に動作しなくなる。仕方ないか...。」
[Stage 5: Acceptence (受容)]
「IPv6をdeployしよう!」
うーん、何だか笑えるような笑えないような......。しかし、元のコンテクストは「生命体による死の受容」ですよ。こちらはお仕事の話。お仕事の場合、通常であれば、まぁかなり理不尽であっても、かなり困難であっても、それが重要なのであれば、只管やるのである。「仕様追加がどうしても必要だ。でも納期は変えられない。よろしく。」などという事態になった時、ぶーぶー文句を言いながらも、やってきたではないか。
このような事態に、キューブラー=ロスが引用される、ということは何を意味するか。
これらのセキュリティ脆弱性やIPv6移行問題が、「死」に匹敵するような、致命的な困難さを持っている、ということなのだろうか。それとも、システムが多くの要素と有機的に連携し過ぎていて、生命体と同様になっている、ということなのだろうか。いや両方なのだろう。勿論、多少の誇張と冗談が交じっているにせよ、「生命体(のようなもの)に対する死(と同じくらいの困難)」が、最近は起こっている、ということか。
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