多様化・複雑化する○○。現代においては、○○には何でも当てはまるだろう。多様化・複雑化する { 社会 | 情報システム | 金融システム | 国際関係 | 対人関係 | コミュニケーション | 価値観....}。
この多様化、複雑化により、当然問題もたくさん起こっているのだが、驚くべきなのは、その割には単なる無秩序状態に陥るのではなく、新たな、たぶんより高度な秩序が、形成されて行く、ということだ。問題は山積み・噴出状態ではあれど、それでも社会は廻っているしインターネットは動いている。(この辺を自分なりに解き明かしたくて、今ちょっと勉強中。)
音楽芸術の世界でも同じような進化変遷をしている。今では古典として残っている名曲はほぼ全て、当時としては斬新な試みを行っており、それまでの秩序を少しずつ破壊しながら、新たな地平を切り拓いて行く。
弦楽合奏の次の演奏会で、我らが正門憲也先生の「弦楽のための舟歌」を取り上げる。私にとっては、初めて正門先生の曲に取り組むことになるが、これがもう本当にすごい。ひたすら涙。九の和音の連続、複合和音、複調...、いや和声の方はそれでもあまり問題がない(というより、かなり綺麗)。泣くほど苦労するのは各声部の流れとリズムである。当然ポリフォニー、時々ヘテロフォニーあり(微妙な各声部のずれ)、そしてポリリズム、しかも、各声部のリズムが既にかなり複雑なのに、各声部で違うリズムを刻む。さらに、追い打ちのように出てくるヘミオラ。しかも逆ヘミオラ。(逆ヘミオラという用語があるかどうかわからないけれど、例えば通常3拍の小節を2つまとめて計6拍と考え、そこを2拍ずつ大きな3拍子にする(足して割る)ことをヘミオラと言うと思いますが、正門先生の曲では、ゆっくりの3拍の中に4つ入れたり2つ入れたりする(割って足す)。ところで私、「ヘミオラ萌え」と自称するほどヘミオラ好きなんですけど、これがぴったり合わないと、欲求不満によるストレスになる。) ああ、多様性極まれり!
これを指揮者なしでやろう、というのだから無謀である。正門先生は、練習の時は弾きながら小節番号や何拍目かを叫んでくださるが、本番ではそうも行くまい。たった15分8分の曲だけれども、マーラーのシンフォニーを全楽章弾いたくらい、神経を消耗する。実際、これまで何か月も取り組んできて、未だに事故無く最後まで到達したことがない!!まさに、問題山積み・噴出状態。
でもでも、これが、ぴったりはまると、まさに高度な秩序が形成される状態になって、とても美しい曲です。現代の作曲では、斬新な試みを行うがために、無調無機質で不快な音を書いたり、奇を衒って変な奏法を使ってみたり、ということがあるが、この曲は違う。それぞれが渾沌の極致なのに全体としては素朴な民謡(舟歌)のアンソロジーだ。フランス音楽の響きのような和声なので、私にはロワール川に日本の小舟がたゆたっているような光景が目に浮かぶ。船頭さんが気持ちよさそうに謡う。エンヤトットという掛け声のようなリズムも聞こえてくる。川面に光があたってきらきらしている。水しぶきが舞う。時々岩に当って舟ががつっと音を立てる...。
本番まであと一週間もなく、先日のリハーサルでもまだ事故が起こっている。こんな演奏では先生の顔に泥を塗ってしまうのではないか、という懸念もある。何とか少しでも高度な秩序の形成ができるように、この多様化・複雑化・渾沌に諦めずに取り組みたい。
P.S. ところで、本人によると「チキンラーメンのテーマ」(?!)が出てくるらしいんですけれど、どこだか特定できていない。というか、チキンラーメンのテーマってどんなのでしたっけ?いずれにせよ、「こんな音楽を書くなんて一体どういう頭の構造なんだ(尊敬)」、と思っているところに「チキンラーメン」とか言われると、そのギャップがまたおかしい。
P.S.2 現代の音楽って言葉にするのが難しい、と思ってたら、たまたま今読んでいる本にこう書いてあった。「現代という時代は自分を表現する古典をもっていない。」うーん、当然と言えば当然だけれども深い。(「現代倫理学入門」、加藤尚武、講談社学術文庫)
正門先生より、15分でなく8分、というご指摘を戴いた...。しかし弾いていると、少なくとも2-30分は経った気になります。時空が曲がっている例かも(<特殊相対性理論)。
投稿情報: Miya | 2009.04.29 23:06