米国系企業に勤務してもうかれこれ通算10年になる。基本的には、オープンで、個人を尊重するところが気に入っているが(主張が理に適っていさえすれば、日本企業とは異なり(?!)、若造だとか女性だからといって、足蹴にされたりしない。....いや、当時は若かったのです...:))、やはり戸惑うのが、技術に関して議論していて、さて実装、ということになると、「で、いくら?」と必ず聞かれることだ。「これつくったらどのくらい売れるの?」
私からすれば、「技術的に正当、もしくは、効用が大きい」ことに合意すれば、後はつべこべ言わずに実装して欲しい、と思う。「こいつら拝金主義者か?」と、地団駄踏むこと多数。
しかし実際は、技術可能性というものは星の数ほどあり、「技術的に正当、効用が大きい」ということも、結局その時の環境や構造による価値判断に多く依存し、絶対的なものでは無い。従って、よかれと思ってつくっても独善的になってしまう可能性はある。要するに、どんなに素晴らしい(と思う)技術も、使って貰ってなんぼ、ということだ。使って貰えない技術は、それがいかに素晴らしくても価値は低いと言わざるを得ない。そして使って貰えるというのは、マーケットに受け入れられることであり、即ちお客様に購入していただく、ということだ。そう考えると、「これつくったらどのくらい売れるの?」という問いは、あながち的外れなものでもないかもしれない。米流プラグマティズムである。(勿論、だからと言って全面的に賛成している訳ではない。Marketが決定を下してから着手するのでは遅すぎるので。ただ、一理あることは認める。)
「お金が解決できることは限られている」、「お金よりも大切なことは山ほどある」、ということを重々認めた上で、やはり、ビジネスの才覚、というか、一種のプラグマティズムを身につけたほうがよいのかもしれないと思う。理想には程遠くても、現状からは多少でもましな状況にするために。そして、独善的にならないために。人間は、思うほど愚かではないけれども、思うほど立派でもないのだ。
例えば、経路爆発問題にしても、longer-prefixには利便性があるのだから、longer-prefixを広報する場合は少し高くお金を戴けるようなスキームにすれば、やみくもに細かく区切ることは抑制されるのではないか。それから、少し話がそれるが、例えばJanogの運営はヴォランティアで行われており、関係者の方のご尽力には頭が下がるばかりだ。ただ、下手すると、独善的な押し付けになる危険性も常に孕んでいる。「自分たちはこんなにやっているのに」、という驕りが生じたり、直接対価を払うお客様がおらず、結果的にそこに責任が発生しないがため、甘えの構造に陥る可能性もある。(例として出しているが、Janogがそうなると言っている訳ではない。全てのヴォランティア団体が陥る可能性がある危険である。)
実はこれは音楽でも同じようなことがいえる。私は音楽では生計を立てていないが、命そのものと同じくらい大事に思っている。しかしアマチュア同志では責任が発生しないための甘え、というものが生じる場合が往々にしてあり、もどかしい思いをすることもある。共演をお願いする相手にきちんと謝礼をお支払いした方が、また、お客様から多少でもチケット代を戴いた方が、意識がぐっと引き締まり、上手く行く場合がある。
勿論勿論、金銭関係なんてどうでもよくて、素晴らしい仲間と素晴らしい音楽ができるのが最高なのですけれど!!
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